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院長挨拶

八戸赤十字病院は、昭和18年8月1日、第二次世界大戦中に開設されました。
終戦間際には、自院も空襲を受ける中、医師、看護師や、育成の途中に有った看護学生1・2年生迄もが、爆撃に因り受傷した傷病者の手術や処置に当たりました。又其の時、大量の傷病者が一度に入院した事に因り、食料問題が発生致しましたが、大湊海軍の長官と直接交渉を行って食料を確保し、自院まで自分達で搬送する事に因り、入院患者を守り通しました。終戦直後には、国全体が混乱し困窮を極めていた中、無医村無料巡回診療を行ない、加えて、生活保護者の診療にも当たって居ります。戦中戦後を通じ、人道の理念を具現化する活動を行って参りました。

今、病院創設から80年が過ぎ、令和6年3月と成りました。未だ、元旦に起きた能登半島地震の爪痕は生々しく残り、当院からも、救護班、医療コーディネーターチーム、心のケア班、病院支援要員を次々と繰り出して居ます。
災害関連死という言葉に心が痛みますが、環境が変わり、普段の生活習慣が維持出来無いだけで、基礎疾患の悪化を招き、亡くなられる方は確かに居られます。只、配薬等を含め、災害弱者に対する配慮や、環境整備等に、最善を尽くし得る為の準備が成されて居たかは、我々医療人は自問し無ければいけないと思って居ます。

平成2年に竣工し当時本館と呼ばれて居た当院の診療棟が、平成6年の三陸はるか沖地震で甚大な被害を受けました。同規模の地震に曝された場合、倒壊のリスクが有るとの耐震診断が下され、竣工後、僅か4年で、建て替えを余儀無くされた事に成ります。しかし、現在の免震棟が竣工したのは、平成17年で、被災から11年掛かりました。そして、昨今、国土交通省に因りハザードマップが改訂され、当院は、洪水・津波に因り最大で3m浸水すると想定されて居ります。
一旦、病院が甚大な浸水被害を被った場合、旧前の稼働に復するのには、可成りの年月を要します。立ち直る事は容易では有りません。当院は、年間4000台の救急車を受け入れ、年間2200件の全身麻酔手術を行なって居り、県内では青森県立中央病院、八戸市立市民病院、そして当院の、3病院しか取得して居ない急性期充実体制加算を取得して居る、高度急性期医療を担う地域医療支援病院で有ります。当院の医療の空白は、地域医療に甚大な影響を及ぼします。

日本では、東日本大震災以降の13年間で、震度7以上の地震が、熊本地震、北海道胆振東部地震、能登半島地震と3度起きて居ます。震度5以上は、80回を優に超えて居ます。中でも恐ろしいのは、平成28年以降の震源地の多くが、東日本太平洋沖に線状に分布して居る事です。東日本大震災時、石巻赤十字病院に赴いた者なら、理解出来る筈です。高度急性期医療を担う基幹病院の機能が保たれる事が、被災傷病者を救う事にイコールで有る事を。実災害時、地域災害拠点病院としての務め、医療人としての責務を果たせ無い事を何より恐れます。病院の強靱化に着手し、災害を乗り越えられる、被災地内に在っても傷病者を救い続け、患者を守り抜ける施設に変えて参ります。病院創設時の、戦時中の先人達に負けない様に。

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